『ベランダガーデン』と称しながら、休日はお出掛けもして

お世話が足りてない残念な週末ガーデナーですが

「お花っていいなぁ~」と、ちんまりとベランダガーデンを楽しみ

四季の彩りのある暮らしを楽しんでいます。




2005年03月


日本で10数年をすごしている外国籍の友人がいる。
彼女は自分の故郷のことを多くは語らない。ここ数年、
彼女とお付き合いをさせてもらっているが、私は彼女が
自分の国にいた時のことは殆ど知らない。

「弟がもうすぐ日本に来ます。」

妹が二人いることは知っていた。また、弟がいる事も知っていた。
もう一人、弟がいることを知ったのは1年前ほどのことだった。
親しくなった分、いろいろなことが見えてきた。


朝からフルタイムで普通に仕事し、夜また仕事に出る生活を
もう何年続けているのであろう。週明けの彼女のHangoverの顔は冴えない。
兄弟が8人であることもほんの1ヶ月前に知ったことだった。

毎月約8万円程度の仕送りをしている。この仕送りが彼女の母国の家族の
生活を支えている。弟妹たちの大学の学費もあると言う。
彼女の仕送りでせっかく大学を卒業しても、お国では仕事に就けない。
アルバイト程度の仕事をしても、その日を食べて行くことで精一杯。
働いても彼女の兄弟たちはお小遣いもないという。

生活にゆとりができると、彼女は下の兄弟たちを日本に呼び寄せる。
また、兄弟たちは「ねいちゃんは、次に誰を呼んでくれるのだろう」と
待っているのだ。

ある弟は警察官の道を歩み始めたが姉は生命の危険を案じ、
警察官を辞めさせ日本に呼び寄せた。普通の生活の中に
麻薬・銃といった存在が普通にある国である。

その弟のビザの更新が日本でかなわなかった。日本にもっと滞在していたい
という気持ちが、ビザが切れるその日に帰国した。彼の気持ちが痛かった。
帰国の前日に私に会いに来てくれた。私が差し出した手を両手で握りしめて、

「Princess see you!」

そして彼の 大きなハグ 。思わず彼を抱きしめ返した。
そのまま黙ったままで見送った。

私は「もう一度、会いましょうね」と言い返せなかった。
何故言えなかったのだろう。弟もまた姉の負担をよく理解していた。







帰国当日、成田でドタバタ劇があった。
第2ターミナルに着いたとき、彼の乗る飛行機を示す電光掲示板は
点滅をしていた。結局彼は、当日、第3国経由で無事の帰国となったのだが、
彼が最後の最後まで日本に留まりたい気持ちを強く感じた。

私も自分探しの旅に出ます。飛行機に乗り遅れないよう
準備はOKです。では4月になったらまたお会いしましょう。


See You! (^o^)//"""







浄玻璃の鏡

この話を聞いたときはとても怖かった。
また、嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれてしまうことも聞かされた。
嘘はついてはいけないと・・・。

空想の世界とおもいつつも高校、大学生のときは
浄玻璃の鏡を前に、閻魔さまの前で往生際悪く
「私は決して悪い事はしておりません」と
叫んでいる自分を想像しながら悪い事をしたものです。

「あの世があるにしろ、地獄があるにしろ
 毎日を精一杯まじめに生活をしていれば何の心配はないよ」
と婆(ばば)ちゃんは言った。


不殺生(ふせっしょう)

不偸盗(ふちゅうとう)

不邪淫(ふじゃいん)

不妄語(ふもうご)

不綺語(ふきご)

不悪口(ふあっく)

不両舌(ふりょうぜつ)

不慳貪(ふけんどん)

不瞋恚(ふしんに)

不邪見(ふじゃけん)


「十善戒」仏さまの教えです。

あらゆるものの生命を尊重し、他人のものを尊重し、
お互いを尊敬し、正直に、よく考えて話そう。
思いやりのある言葉で、惜しみなく施しをし、
にこやかに笑って、正しく判断して日々を暮らす。

(参:智山教化センター「生きる力」より)


婆ちゃんは、悪戯して叱られてしょぼくれている私に
「人の顔は心がけ一つで鬼にもなるし、仏さまにもなれるんだよ」
と十善戒を教えてくれた。



日頃の生活の中で活かしていけば、
心の迷いや不安は不思議と消えて行くものだ。
清らかで穢れなく輝く満月のように・・・。


欲しいままに行動し、自分だけがよければそれでよいという
殺伐した時代であるからこそ、自分を見失うことなく
私はそのものだからこそ 婆ちゃんの言葉が繰り返し 
私の心に響いています。



人を不愉快にする鬼の顔になるか
せめて、人に清々しさを与える仏さまのようなお顔に
少しでも近づけるようになりたいものです。






皆が集まった。お正月以来でのことである。
クルマを連ねてお墓参りに行ってきた。

墓石を清めて丁寧に拭いてあげた。
アトピーでかゆがっている4歳の姪っ子に

「○○ちゃんのカイカイがなおりますよ~に」
「みんなの花粉症が少しでもよくなりますよぉに~」

こんなことをみんなでワイワイと言いながらお墓参りをした。
墓参りは母の大事な行事である。母の号令で年に2回はこうやって皆が集まる。

私はお墓に供えるお花の係りだ。
この日ばかりはお店に売っている一番高い仏花の束を一対購入する。
季節の花がチョイスされた束に仕立ててある。
仏花とはいえ、ご先祖様にも見た目も楽しいでもらいたい。
春秋のお彼岸、たった年に2回の事である。

お墓の前で合掌。
もちろん誰も墓参のない無縁仏にもお線香を
手向けることは忘れてはいけない。

お墓にいる時間はわずかである。
ただ皆が集まったことで、あ~だこ~だと言いたい事をいい、
日頃のご無沙汰している時間を埋めていく。


横浜に住む妹のマイブームはヨーグルト作り。
兄嫁は小学1年の甥っ子のサッカーの様子。
甥っ子は試合で着るユニフォームを披露する。

母は4月にある民謡の大会。
プロの演歌歌手(ビクター)の秋田民謡の太鼓を受け持つ。
覚えてきた節と違う本場地元の微妙なリズムでお稽古に苦労しているという。


法事とは違うので会食は焼肉となった。
母の財布であるから皆、セットメニューでなく
好き勝手に高いお肉を遠慮することなく注文する。


お腹がいっぱいになったところで
また母の財布についてショッピングに行く。
母は皆に少しずつのお小遣いをくれる。

私たち姫には洋服、孫にはゲームやガチャガチャができるお小遣い。
若殿たちにも孫と同等額のお小遣い。
おまえらは稼ぎがあるだろうからと。(笑)


いくつになっても母はありがたい。
母はこうやって皆が集まって 
楽しくする時間もご先祖さまの供養だと言う。
母からいつも聞く言葉である。



普段から心がけていること
ダイエットとかお肌のお手入れとかそんなことではなく
「人間としての心がけ」

あえて口にしなくても、私たちは人間として心がけていることがある。
「他人の物を盗まない」
「嘘をついて他人を騙したりしない」

これらのことは あえて口にしなくとも当たり前に心がけている。
最近はこの当たり前が当たり前でなくなるよな事件が現実に起こっている。
「幼児虐待」
「強盗殺人」
「振り込め詐欺」

閻魔大王もさぞ驚いているに違いない。
具生神(ぐしょうじん)が生前の善悪の行為を閻魔さまに報告されてしまう。

人は亡くなると閻魔大王のもとで裁きにあい
生前の罪の重さによって「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天」の
六道にいずれかに生まれ変わると信じていた。

いわゆる「六道輪廻」である。


具生神は閻魔大王の命により
人間が生まれた瞬間からその両肩に乗り、
人の善行・悪行のすべてを記録する。

閻魔大王が裁きを下すとき、その肩から飛び降り
大王にその行為を漏らさず奏上する。

「具生神の言うことはまったくでたらめです」
「私にはまったく身に覚えがありません」

と弁明する諦めの悪い人間もいる。
しかし閻魔大王には秘密兵器がある。
人間の生前の行いをすべて映し出す「浄瑠璃の鏡」がある。

その鏡で真実をみせられ、人はさらに鬩ぎ(せめぎ)にあう。

昔のことのフィクションと笑うかもしれない。
しかし、そうとも言い切れないでしょうか。
だって、それは 死んでみないとわからないことなのですから(笑)

亡くなってから

「しまったーーー!具生神に見られていたのか!」

と気づいても後の祭りです。



南向きのベランダから右手に富士山が見えます。
真っ白な雪をかぶった富士山は「どうだ!」といわんばかりに 
東京の高いビルや高層マンションが立ち並ぶ空間を縫って
その姿を現している。

裾野を広げる富士山を遮る邪魔なビルはなく 
その空間は富士山を愛でるために確保されたようにも
おもえるのだがそれだけ高い山であることなのであろう。

富士山からさらに右手に見ていくと一旦高いビルに風景が
遮られるがビルの高さと横並びに秩父連峰が連なって見えてきます。

富士山がはっきりと見える澄んだ空気の冬の朝は決まって風が強く吹き、
一日が寒い日となり、夕方には赤い空に濃いグレーに重なっている見える
秩父連峰もまたきれいだが、

「今日も寒かったね、」と語っているように私には聞こえてくるのです。

通っていた小学校は富士山がよく見える位置にあり校歌にも
歌われていました。

 富士 秩父 夏の山 
 そよぐ風にも 歌が湧く 
 子どもの広場
 オールの響き 鳥の声 
 平和の光 満ちあふれ 
 日本の明日を 担おう我ら


2番なのですが、こんな様な歌詞だったような・・・
もう、忘れました・・・・・




昨日の朝は 霞んでいて 富士山をみることはできませんでした。
毎朝、ベランダに出ては富士山を眺め、その日の天候を
うかがっています。
東京は昨日から 春めいています。


「春なれや 名もなき山の 朝霞」



すぐれた絵本の物語には、先に生きた人々の、子育ての物語が語りこまれています。

『絵本のある子育て』をとおして、親だけの孤立した子育てから、多くの人々の経験や知恵とともにある子育てをしていきませんか。


■0歳~1歳の頃

生まれて間もない赤ちゃんには、自分が生まれてきたこの世界を

耳を澄ますことで、やわらかく繊細な感受性で、知ろうとしています。

テレビを消して、静かななかから聞こえてくるもの


・・・鳥の鳴き声、木の葉のそよぎ、街のざわめき、家族の話し声・・・


添い寝や抱っこをしながら、赤ちゃんの顔を見つめて、やさしく語りかけてください。

そうやって赤ちゃんは、言葉を語りかけてくれる人(とりわけ母親)への信頼を深めていきます。



★8ヶ月頃から

絵本に関心を示すようになります。

絵本のなかに関心のあるものを見つけて、

 みる
 きく
 さわる
 
ことで、妙に納得をした表情をみせたりします。


まだ、この頃の絵本は『おもちゃ』のようなもの。
かじったり、乱暴にして破いたりするかもしれませんが

気になさらずに、さりげなく身の回りに置いてあげてください。


お昼寝や、おやすみのときCDで子守唄などを歌ってあげたらいかがでしょう。
赤ちゃんをしずかに眠りへと導いてくれます。



★1歳半ばを過ぎると

もう、一人前の絵本の読者です。

自分の好きな絵本もできて、それを書棚から引っだして、

『よんで』という意思表示をします。



絵本ととおして、日常と違う心のもう一つの世界を親とともに味わうという喜びで子どもの心を育ていきたいと思っているのです。







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