『ベランダガーデン』と称しながら、休日はお出掛けもして

お世話が足りてない残念な週末ガーデナーですが

「お花っていいなぁ~」と、ちんまりとベランダガーデンを楽しみ

四季の彩りのある暮らしを楽しんでいます。




2015年11月


ガーデングッズ

父の納骨が終わったのは
よく晴れ渡った秋の日

その翌日から雨降りが続いたから
なんてラッキーな日だった

納骨がおわり両肩が軽くなったけれど
私の心にはまだまだ雨が降り続いている


9月の終わりに納骨の日が決まり
本当にこれがお別れだと思うと
父が可哀想で可哀想でたまらなかった

悲しいとか寂しいとか
そんなのは当たり前のことだけど
喪失感がどっと押し寄せてきた

納骨の日までは毎日お線香をあげて
両手で父の頭を撫でるごとく
父の骨壷を撫でていた

そのたびに
なぜ死んでしまったの
まだまだ早すぎますよと
心で叫んでいた

葬儀のときに
枯れるぐらい泣いたのに
それでも泣きたりない

思い出すのは父の最期のことばかり

苦しいことだっただろうに
一糸乱れずスーッと事切れて逝った父
最期の最期まで我慢強いのだから

父らしい姿だが
それが私には悔やまれてならない

本館である楽天ブログでは
父が居なくなってしまったことを
お知らせしていない

ブログに書いてしまえば必然的に
お悔やみの言葉が入ってくる
それは悲しくてたまらないから
あえて伏せている

そんなんで
ブログ更新の気持ちが
失せている
しばらくはこちらに
気持ちをぶつけよう







南禅寺 三門

今年1月から再開した
「ブラタモリ」を
毎回楽しみに観ている

観光でなく
歴史的見地と地形の謎解きを
合わせたところが
おもしろい

1回目は
京都、南禅寺から始まった


南禅寺水路

先日、南禅寺に行ったとき
タモリの足跡を辿ってみたけれど
体が付いていかれず
早々、断念

それでもブラタモリの内容で
歩いてみた
知っているのと知らないとでは
景色が断然違ってくる


そして今夜の放送は
ずーっと北へ飛んで
すすき野

へぇ〜、そうなんだ

これを知っていたら
もっと違った札幌観光が
できただろう




吉村昭の「赤い人」を
思い出した

冒頭から引き込まれ
蝦夷地の開拓の困難を
知る本であった



赤い人新装版 [ 吉村昭 ]










「マニアックな本を読んでるなぁ」と
とうちゃんが言った

どこがマニアックなのか
吉村昭はそれほど読んでいないから
私にはわからない

『死顔』
没後3年の遺作短編集
死顔に対する吉村昭の考えに
同感である

身近なところで父
急の知らせに母を伴い
病院へ駆けつけたところ
見舞い客が居た

いまにも事切れそうなのに
病室を立ち退くことなく
最後まで居た

静かに身内だけで
見送ってあげたかったのに

そのずーずーしさに
孫である姪っ子は憤慨
普通は遠慮すべきだろうと
じいちゃんも嫌だったであろうと

遠慮してくださいとは
さすがに言えなかったが
悔やまれる

招かざる見舞客は
今際の際に接したことを
自慢げに話している

そのデリカシーの無さに
閉口した
最後の最期まで
味噌を付けてくれるお人だ



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