「いや~参った。かあちゃんに逃げられたよ~。」

「?!。またご冗談を。」

「本当なんだ・・・」

「どちらへ?ご実家に?」

黙ったまま右手の人差指を立てて上を指したÅ氏。


昨年乳癌が見つかり、手術で取り除くことがで100%成功の筈であった。

退院後すぐに奥さまは体の不調を訴え続けた。術後の自分の家に戻ってきた

不安、病気のことメンタル面もあるのだろうと慰めた。

しかし、そのときにすでに彼女の他の体の部分は癌に侵されていたのであったという。

稀に見る悪性のものであった。若いだけに進行も速く進んでいった。


私は奥さまが病気であったことを亡くなった今、知ったことであった。

誰にも話さずにきたÅ氏は話したところでどうなるものでもなかったのだと、

ぽつりと呟いた。



奥さまの兄とÅ氏は仕事上ライバルであり、お二人にはさまれた奥さまには

ストレスも相当なものであったに違いない。私にも似たようなものがある。

Å氏は私にとってはお得意先で年上である。

しかし奥様はこちらが恐縮してしまうくらい同等にお付合いをしてくだった。

美しく歳を重ねていく奥さまは私の将来の目標でもあった。


物腰がやわらかく穏やかな話し方、その声も小さな鈴を転がしたような澄んだお声。

そういえば最近、電話をかけるといつもお嬢さまが出た。

あの奥様のお声をお聞きしたかったのにと残念なときが続いた。

そのとき病院のベッドの上で辛いおもいでいらっしゃったのかと思うと、

優しかったソフトな笑顔の奥さまだっただけに居た堪れない。



家々に咲く白いゆりの花。今日も雨が降っている。

雨に打たれても凛と限りなく白さを誇っているゆりの花と彷彿する。

清浄で上品な憂いの魅惑を感じる奥さまであった。

ものがなしくしくも涙が音もなくこぼれ落ちた。

54歳と1日、お誕生日の次の日に亡くなられた。合掌。