2005年10月


介護で自宅ベランダガーデンから

実家のお庭でガーデニングを始めました


通いなのでお世話が足りてない残念なガーデナーですが

「お花っていいなぁ~」と、ちんまりと

四季の彩りのある暮らしを楽しんでいます。





母娘のハロウィン。


父と母が二人揃って写真を撮った。
娘にもその一冊が届いた。

「自分たちの葬儀用?」という娘に
母は「そうだよ」と笑って返した。

父のぱりっとした姿に色留袖の母。
年月は確実に時を刻んでいる。


母が先日、ぽろりとつぶやいた。
ボランティアをしたことがない母は
これまでの自分を恥じた。

「この歳になるまで一度もやっていない」
「一度もやろうと思ったことはなかった」

そんな自分を恥と思ったらしい。


母の人生は苦労ばかりである。
そして父に出逢い
自分の人生を父に添い
ひたすらに生きてきた。

恥じる事なんてないですよ。
今までの母のやってきた事は
たくさんの人に共感を与えてきた。

今も母が周りにいる人たちに
与えている影響は大きい。

あなたのお母さんと話をしていると
また前向きの気持ちになれます。

何人そうに言われてきただろうか。
そのことが私のプレッシャーにもなっているけれどね。
母を慕う人が母の周りに集まる。

ねぇ、おかあさん
恥じる事なんてないよ。
ボランティアなんて形を整えなくても

人に喜んでもらえたら嬉しいですよね。
そう思うことにしましょうよ。
今日は私のおごりね。




名月や池をめぐりて夜もすがら  松尾芭蕉

いつの時代でも愛されてきた秋の月
美しい月を眺め母とこんなことを話すのも
くすぐったくもまたいいものです。


浜松町WTCB38階レストランレインボーで


ハロウィーンディナー









西岸良平『三丁目の夕日』にみる昭和史。

夕焼けの詩(51)

東京の下町、夕日町三丁目で繰り広げられる昭和30年代の庶民の生活を
コミカルに描いた『三丁目の夕日』


これを読んでいると、このころの日本の平均的な生活がよくわかる。
典型的な日本家屋、畳に障子に床の間に襖に究極的な『ちゃぶ台』

父親が会社から帰ってくるのを待ち、ちゃぶ台で家族みんなで食事。
ちゃぶ台を片付け布団を敷き、川の字になって家族みんなで寝る。

2階建て、まだまだ平屋の瓦屋根の街並み、
個人商店が立ち並び、独特の雰囲気を醸し出している。

今、私の周辺ではこんな昭和の面影を残した街並みはない。



「もはや戦後ではない」 

そんな言葉が流行った昭和30年代。
この頃の「三種の神器」とは

  洗濯機に白黒テレビに冷蔵庫 

人々の生活は決して裕かではなかったものの、
誰もがみな『明るい未来』に向っていた。


そして時代は進み昭和42年の第二次耐久消費財ブーム
『三種の神器』に代わって登場した3C

 カー(自動車)、クーラー(ルームクーラー)、カラーテレビ

これらは高度成長時代の庶民の夢と目標となった。
そして『消費は美徳』の言葉も流行り 


『家付き、カー付き、○○ぁ抜きーーーー!!!』


なんて憎まれ口もあったりして、
今もこれはあり~かなぁ(爆笑

オイルショックもくぐり抜け日本はぐんぐんと成長をしていった。



バブルがはじけ今日を迎える。
選挙が終わり、消費税が10%に引き上げなんていう話も聞こえてきて、

『話が違うよ~!選挙時に言えよ!』

そんなことを言ったら選挙は・・・・・・。ですよね。


今の日本のことをあれこれと思うと
日本はもう世界の負け組み? な~んて
『三丁目の夕日』を読みながら、思うマリンであった。

IT産業がすすみ、形のない産業の次にくるのは。
また○○社会が廻ってくるのかなぁと極論さえも考えてしまう。



オート三輪ミゼットあり、
ビッグコミックオリジナルに掲載の西岸良平『三丁目の夕日』が
映画『ALWAYS三丁目の夕日』11月5日に公開となる。


戦後の復興の象徴、東京タワーが建築中の昭和33年の街並みと人間模様。
ケイタイもパソコンもなかった時代。
家は狭いけれど家族の会話はがいっぱいの家庭。

誰もが笑顔でキラキラと輝いていて、
今の日本の皆が忘れ去った大切なものを知ることができる。
心の芯まで温まる物語です。




~ALWAYS 三丁目の夕日~夕日町のひみつ ◆20%OFF!



三丁目の夕日(高度成長時代)三丁目の夕日(高度成長時代)


51巻まで出ています。 ← 遂に読破。




もうマニラなんか・・・。


東京の地下鉄は東京メトロに営団地下鉄に
JRとの相互乗り入れ故に複雑である。

普段、地下鉄は使わない私は、
乗換えも長いコンコースを案内にしたがって
ひたすら上を見ながら歩く。

どこへ行くにも便利なのだが
ひとつ出口を間違えれば大変な時間のロスとなる。


地下鉄東西線に乗った。
また外国人から話かけられた。

『英語できなぃ~って!』

今更、英語のできない私を暴露する程のものではないが、大汗である。
私と東西線はどうも相性が悪い。

東京メトロ苦手意識。

会社の同僚は平気で英語で話してくる。



英語ができないがために、帰路マニラ空港でひと悶着あった。
帰国のときは私一人だった。

マニラ空港、2階の出国ゲート。
あのJJや村の人たちに見送られハグでお別れ。

ゲート内では一人ぽっち、英語を聞けない、話せない私。



ゲートから空港ビル内に入るまで長蛇の列。
暑いマニラの気温と一人という不安に汗をかきながら
これもフィリピン最後の思い出と並んでいた。

列はなかなか動かない。

ガードマンが私のスーツケースに貼ったネームを目ざとく見つけ、
何かと英語で話しかけてくる。

『BLUE MRINE!?』

ダイビングをしに来たのか?セブ島にいったのか、と。

私は適当に相槌した。

不思議なもので少しだけの滞在時間が、
生英語を聞き取れる耳にしている。



ようやくビル内に入ったものの、出国の手続きをする人、人、人。
たくさんの人をかき分け、成田行きのカウンターまでようやくたどりつく。

ここでも列はちっとも前に進まない。

後方で空港職員が英語でなにやら喚いていた。
どうやら成田行きのチェックインは別のカウンターへと言っているようだ。

ここへ並んでいた人たちは、スーツケースをガラガラさせながら
またまた人をかき分け、列の大移動をする。
数人の日本人達のブーイング。



移動している私は別の空港職員に呼び止められた。

『≒×○△◆*♪。。。。ケイタイ?ケイタイ?』


Gパンのポケットに入れておいたはずの私の携帯がいつの間にか無い。

『ない、ない、無いーーー!!!!!』


私の肩から提げたバッグを指し、そこは?と聞いてきた。
やっぱりこの中にも携帯はない。焦った。


『パスポート?』 と言われ差し出すと
私はパスポートを取り上げられたまま、奥に連れて行かれた。



えっ。。。。なんなのよぉぉぉぉぉぉーーーー

このまま日本に帰れないの? 

携帯はどこへ?


、、、、、、、、どうしたの?

なにがなんだか分からず仕舞い。



パスポートは?????????

日本に帰れる?????????

マジ、パニくってしまった。



別の職員が

『ケイタイ?ホニャララ???・・』←パニくっていて何を言われているのか不明。


とにかく

『ピンク!!!!英語わかりません!!!』 と言いまくった私。


そこへピンク色した見慣れた私の携帯が奥から出てきた。

英語の書類にサインを求められた。
一体何がなんだか、状況がつかめない。


ここへサインをしてもいいものなのか。。。。。

『漢字、OK? 私、英語ダメ!』

サインまで英語を拒否。
なんたるこっちゃぁ・・・・・・・。


出発時間も迫り、まだ搭乗手続きも済んでいない。
いや~~~あせった。


ようやく乗り込んだフィリピンエアライン。
しかしPR機は定刻の1時間30分経っても飛び立つ気配は無い。

機内のエアコンは切られるし、
往路もマニラ空港閉鎖で、上空をさんざに散歩させられた。


成田に着陸しても爆睡していた私。。。





まあ、無事に帰ってこれた訳なのですが、
私の携帯はどこでどうやって失くし手元に戻ってきたのか、
あの空港職員がどうして私に声をかけてきたのかも
いまだに不思議なのだ。

携帯をなくしたことに気付かない私は
まぬけ顔の日本人!に成り下がっていたのだろうか?


『マニラなんか、もう絶対に行かない!!!!』


たとえ会話ができなくとも、本気で聴く耳を育てなくては。

いえいえ、

『私は日本人ーー!ここは日本だーーー!』 と、もう挫けている。。





諸星大二郎 『栞と紙魚子』


『では、良い週末を』と結んだ先週の日記。
私にはとんでもない週末となってしまいました。

横浜での美術展と中華街での食事、そしてお祭りの楽しみを奪った熱。

熱でウトウトとしていた三日間でした。


熱が下がり始めると本を読み出すのが私の習慣。
でも、さすがに活字は追えません。ぺらぺらと漫画です。

今回は諸星大二郎『栞と紙魚子』シリーズを引っぱりだしてきました。


好奇心旺盛な『栞』と博学で理屈尽くめの『紙魚子』(シミコ)の高校生コンビが
遭遇する不思議な事件。


気色悪くもあり、奇怪、超現象、ホラーの諸星大二郎の物語なのですが、
不思議とそれはなぜか現社会に投げかけてくものを感じます。

読み出せば目が離せない、ホラーもの好きです。



『栞と紙魚子』では

場所は東京の三鷹周辺がモデルになっているようで、
ここに出てくる 胃の頭公園 は実際は 井の頭公園。


井の頭公園には学生の頃、よく訪れました。
読んでいると、今も公園内は変わっていない。なつかしぃ~~~。

今は井の頭公園の隣にあの『三鷹の森ジブリ美術館』があります。



栞はわかるけれど、紙魚子のネーミングはいかがなもの、
本を読めは納得です。

紙魚(シミ)は英語でシルバーフィッシュ、
響きは素敵なのですが実態は気味が悪い。


本好きな方は紙魚をご存知でしょうね。
私は見たことはないのですが(笑)




栞と紙魚子
 ← コミックシリーズです。





きれい美人 有名女優の美の秘訣。

女優のきれいなのは当たり前? 美しさの秘訣って?

今日のテレビ朝日のスクランブルで大地真央と黒木瞳が告白。

ざーっと箇条書きにしてみるとこのようである。


◇大地真央 49歳 

 梅干とゆで卵 バランスのとれた15品目の朝食。

 朝から15品目とはお寝坊の私には遠~い食生活です。

 ここで目に付いたのがマヌカハニー!

 大地真央さんも食されていた。

 美容にも健康にもいいらしい。

 名付けて『美の朝食』とでもいいましょうか。(^^)



◇黒木瞳 45歳

 顔の筋肉をあれこれとおもしろ~く動かして

 二重顎に頬のたるみ予防に顔の表情筋を鍛錬して予防。

 志村ケンのアイ~ンの顔。(_´Д`) あい~ん

 ウインク・アイ~ン筋で ひきしまった小顔ダンス。



◇美肌といったらこの人

 松坂慶子 53歳

 お風呂でエステタイム。

 彼女が語る最も美しい大先輩が森光子。



◇森光子 85歳 

 1日2個以上の卵を食べ、ヒンズースクワット150回 何十年も続けている。

 卵をたくさん食べる人は 運動をしなくてはいけない。

 失礼ながらあのお年でヒンズースクワット150回はかなりのものと思うのは私だけでしょうか?

 これって私がいかに普段からの運動不足を暴露している? (‐×‐)

 彼女のお肌はふっくらした肌。

 これって弾力性があるということですよね。美肌の必須条件。
 
 森光子さんは殿堂入りですゎ。




『東京タワー』で黒木瞳 実年齢44歳。准一24歳。

その年の差は20。でも一緒に並んでいてもおかしくないくらいステキだった彼女。

きれいな人はそれなりに努力もしているということですか。ヽ(*´∀`)ノ


でも江國香織さん

「恋はするものじゃなく、落ちるものだ。いったん落ちたが最後、浮上は困難だ・・・」

じゃなくて、

『恋はハマるもの。いったん嵌ったが最後、浮上は困難だ・・・・・』 なんて思う。


ハマッてハメまくって ≧□≦)~☆グハッ 失礼いたしやんした。

高校生はいけないよ~。  



話はそれました。

おまけ。


◇武田久美子

 寝るときは下着をつけない ヽ(‘ ∇‘ )ノ ワーイ♪ ナニヲヨロコンデイル~ソコノトノガタ。

 ゴムのあとがお肌に黒ずみが発生するらしいです。

 

いづれにしても

健康でなければなんにもなりません。

気持ちの持ちよう、気持ちが若ければ美しさも倍増。

夜は早く寝る。

地道な努力を。

美は一日にして成らず。です。


お後がよろしいようで、






PS.

大切なことを忘れていました。

豊かな心の在り様が滲み出たようなお顔が一番の美しさと思っているのです。

見た目で勝負できない、せめて性格美人!!!!・・・・・。((/``)ノ⌒゜ウルセイ


では、よい週末を。








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