2006年05月


介護で自宅ベランダガーデンから

実家のお庭でガーデニングを始めました


通いなのでお世話が足りてない残念なガーデナーですが

「お花っていいなぁ~」と、ちんまりと

四季の彩りのある暮らしを楽しんでいます。





井上陽水:人生が二度あれば

人生が二度あれば この人生が二度あれば

井上陽水がしみじみと歌う。
こう大きく歌い上げられると心が揺さぶられる。


母は働き者である。父に添い満足な生活。
自分のことより、人が喜ぶことを何よりの楽しみとしている。
そうできる自分が嬉しいのである。

朝は早起き。
健康には人一倍に気をつかっている。
娘の私のほうがきっと先に逝ってしまうと思う。
健康であるからこそ、人のためにと行動できるのであろう。


しかしこの頃はめっきりと老け込んだ。
年を重ね、母の口からでる言葉には
毎日を限りある命に感謝をしている。


母のことをよく言えば上のように言えるだろう。
しかし、母のそばにいる私には
母の哀しさも知っている。


 ・・・人生が二度あれば・・・

もし母に この歌を聴かせたら号泣するであろう。


 ・・・人生が
    だれの為にあるのか わからない・・・


母は8人兄弟。上から抑えられ、
下からはつけ上げられる真ん中。

辛くて語らない人生の一時があったようだ。
詳しくは語ってくれない。


 ・・・子供を育て
    家族の為に 年老いた母・・・


病弱な私であった。
そのために小学校時代は劣等感のかたまりの私。
母は違った環境も良いと私を中学受験させた。

いまあるマリンという私、自分育てができた時。
よい環境を与えてくれた母の目は正解であった。

父は私にとって天敵に匹敵する。
いつも嫌な奴と思うのである。

今日も「くそじじぃ~!!!」にメールを送った。

やぃ、じじ! 母の日だ!
お母さんにお寿司でも食わせてあげてね。と・・・


 
 ・・・人生が二度あれば・・・

誰しも二度あれば良いと思うことがある。
母がもしこの言葉を言うならば
今の人生ともう一つの人生。
二つの人生を生きてみたいという
母の生きてきた道は幸せであるとおもう。

それは、今を一所懸命に生きている母、
一度きりの自分の人生を、大切に生きているから。

いつか永久の別れも訪れる。
今日も野菜が届いた。働き者です。

親不孝者、母に懺悔する。




井上陽水「人生が二度あれば」

 父は今年二月で 六十五
 顔のシワはふえて ゆくばかり
 仕事に追われ
 このごろやっと ゆとりが出来た
 父の湯飲み茶碗は 欠けている
 それにお茶を入れて 飲んでいる
 湯飲みに写る
 自分の顔を じっと見ている
 人生が二度あれば
 この人生が二度あれば

 母は今年九月で 六十四
 子供だけの為に 年とった
 母の細い手
 つけもの石を 持ち上げている
 そんな母を見てると 人生が
 だれの為にあるのか わからない
 子供を育て
 家族の為に 年老いた母
 人生が二度あれば
 この人生が二度あれば

 
断絶 断絶





マクフィーの正体とは『ナニーマクフィーの魔法のステッキ』



分かりました、マクフィーの正体!!!


ナニー【nanny】

乳母。住み込みで子供の面倒をみる、育児や教育の専門知識を持った女性。

[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]




『メリーポピンズに続く心温まるファンタジー

 不思議なナニーの魔法のステッキが幸運を運んでくる・・・・。』



母親を亡くしたブラウン家の7人の子どもたちは、腕白のいたずらちゃんたち。

今まで17人のナニーを追い出してきた。

そこへ怪しい不思議な杖をもったナニー・マクフィーが現れます。



予告編では腕白な子どもたちとマクフィーとのどたばた面白映画かとおもいきや、、、


これはコメディでないよ。深い人間ドラマだ。


なんて言い切ってもよいものなのだろうか。σ(´▽`*)

きっとそうなのです。ぅん、納得、納得です。



原作はクリスチアナ・ブランドの「ふしぎなマチルダばあや」

エマ・トンプソンが脚色・自演。


マクフィーと子どもたちの心の変化と成長が見所。

ラストはファンタジー、美しい!!


マクフィーの奇妙な顔が子どもたちの心の成長とともに変化していく。

これにはこの映画の最大の理由が隠されていた。



親子で観て、ほのぼの~。

さて、母親目線





『マクフィーの正体は???』という目で




怪人の愛のかたち。劇団四季『オペラ座の怪人』


劇団四季ロングラン・キャスト「オペラ座の怪人」 [ 劇団四季ミュージカルオーケストラ ]






電通四季劇場『海』
マリンブルーのさわやかさにわくわくして上った階段。
一歩劇場に入ればそこはオペラ座に一変した。


舞台を額縁状に施されたプロセニアム・アーム。

まばゆい光を放つゴールドでない黄金の彫像が
19世紀のオペラ座にいる錯覚に陥る。

ここにオペラ座の怪人が立つのだろうか。



重厚な手抜きのないカーテン
ドレープは、質感と色調とその量に圧倒される。


これが舞台の進むなか視覚的に本物であるミュージカルへと誘ってくれた。
四季のオペラ座はその凄さに圧倒されっぱなし。

巷の『オペラ座の怪人がすごいらしい』
本当でした。


劇団四季劇場「海」はオペラ座の怪人の専用劇場です。
そしてキャッツ・シアターと同じに観るものを裏切らない。



怪人がクリスティーヌを連れて地下の湖へ行くシーン。

霧がたちちこめる湖に無数に次々から現れる蝋燭。
妖しくも揺れ動く炎は幻想的であった。


ちらちらと揺れる本物のような蝋燭の灯のなかを
ボートがすべるように進むシーンは目を離せない。


地下の怪人の棲み処にも
キャンドルが上ってくるのもより幻想的にしてくれる。
完璧だ。


いよいよシャンデリアが頭上から落ちるシーン。
私の頭の上をかすめるように落ちてきた。
まおちゃん、あなたが言うように鳥肌が立ったわよ~。


オペラ座の怪人の愛は間違ったかたち。
でも、私はあなたを否定することができないよ。


あなただって人肌のぬくもりを感じたかったでしょうに。
愛する人の香しさに包まれたかったでしょうに。

ファントム、悲しいよね。






望みもしている

人は望みを半分諦めて
ため息を吐き続ける

今の私に
強制的に降りかかってきて
そのことさえ許してもらえない

一歩踏みだして
羽根がもらえるのら
どうかいまこそ私に
与えてください

変化についていけず
苦しいから逃げるのじゃなくて
苦しそうだから逃げている

受けてたってやろうじゃないか
自分をゼロにするのでなく

こうありたいと
自分の中のものを
放棄することでなく
根こそぎ削いでしまうことでなく

みんなと一直線にならんで
私色に染めていけばいい

よかったと思える毎日を
これでよかったと言える日を
ずーっと出来たらいい

そうすることでこそ
私が私であれば、もっといい






揺曳

今日も快晴。また早くに目が覚めてしまった。

昨日の姪っ子の嬉しそうな顔を思い出す。
私とのデートは気が楽だと言った。
年頃らしい今時のファッション、小物にも気配りして。

自分のことを見つめ、自由に自己表現をできる。
彼女の一面しかみていないのだが、よく育っていると感心する。

私はどうであろう・・・

彼女のように自己を開放することなく、
子どものときからいつも自分を抑えてきた。
このことが私の高校から大学時代の基盤がある所以なのだ。

抑圧から解放されることなく今まで生きてきた。
仕方ないのかなぁ。
誰にも遠慮せずに、自分の思うままに進みたかった。

しがらみのなかで生きていることは誰にだってある。
いずれはこの日が来ることは本当はわかっていた。
それに反発するが故に今の自分があるのは確かなの。

ゆらゆら揺れたって
私は私の角度でそれを見る








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