2015年02月


介護で自宅ベランダガーデンから

実家のお庭でガーデニングを始めました


通いなのでお世話が足りてない残念なガーデナーですが

「お花っていいなぁ~」と、ちんまりと

四季の彩りのある暮らしを楽しんでいます。





回想;お寺さん選び

葬儀にあたりお経をあげていただくお坊さんを
選ばなくてはなりません

実家の宗派なんて知りませんでした。
母が生前戒名を頂いていたことを思い出し
そこから実家の宗派がわかりました

戒名を頂いたお寺のお坊さんさんへ連絡をとりました
快諾していただきました
同じお布施を包むなら知っているお寺さんのほうがいいですね
父の故郷から新幹線で来ていただきました
父も喜んだことでしょう
ありがたいことです

そうそう、告別式で火葬場へ行く人数で
マイクロバスがギリギリでしたので
もう1台頼む予定でおりましたが手配を忘れてしまいました

やはり多くなり乗り切れない会葬の方々が出てしまいました
ギリギリのときは余裕をもってもう1台準備をしておいたほうがいいですね

予定外の従姉妹たち、従兄の配偶者やら従姉妹の息子さんやら
父の昔からのご友人たちだったり、父は大勢の方々から見送られました
幸せなことです


回想;お清めと会葬お礼の打ち合わせ

日程が決まれば次は親戚やらに連絡が始まりました
ノートを1冊用意して連絡した方々のリストを縦に書き留めました
これが後で参列者の人数決めに役に立ちました

通夜、告別式、火葬場の参列、献花、ホテル宿泊とチェックが入れられるよう
必要事項で罫線を引いてノートを見開きで作成しました
ここまでは親戚、友人関係です

2日目の午前中
父は現役会社の会長職でしたので
次に仕事関係者への連絡です
これは一律FAXでやりました
これも送信した会社のリストを作りました
通夜参列者の人数の予測に役立ちました

午後から会葬お礼の数決めです
上記のように進めて行きましたので
会葬お礼の数がすんなりと決まりました

と言っても葬儀屋さんでは会葬お礼の封筒は
100枚の次は200枚という100枚単位の設定です
ですから封筒の数決めは簡単です

次にお返しの品物決め
これも葬儀屋さんのアドバイスは的確です
お香典の今事情は知人等は大抵は1万円
品物の金額設定はお香典では半返し
5000円の設定で
4000円の品物で1000円はお清め代としました

ご近所、町内会のご会葬者は少ない処でお香典は5千円
これはまぁ、足がでてしまいますが

そしてお香典の袋1枚に一つのお返しが基本
参列者の人数の予測はノートが役立ちました
残った返礼品は今は葬儀屋さんが引き取ってくれますので
多めに用意をしました

お清めは参列者の予測人数が必要です
予測される人数の70%でOKです
お寿司は握りか巻き物のみでかなりお値段が違ってきます
男性会葬者が多ければお清めは少なくて済みます
女性会葬者が多いと女性は食べる!だそうです

ま、このように進んでいきます
葬儀は過度にする必要もない一般人ですから
支払える予算をしっかりと頭に入れておかないと
総額はどんどんと膨らみます

葬儀が終わってからも高額のお香典返し
四十九日法要、納骨とひと段落つくまで
見えないところで、まだまだ費用はかかります
何百万となることでしょう



回想;葬儀の打ち合わせ

葬儀屋さんとの打ち合わせは午後からお願いしました
私は午前中に仕事を済ませて実家へ行きました

午前中、父の死の連絡を受けた方々が
早くも弔問に来てくださったそうです
彼方此方と面倒見のよかった父が垣間見えました

葬儀の打ち合わせ
いわゆる互助会に入っていましたので
話はセットで進みます

日程決め
この時期の葬儀の多さで4日後のお通夜となりました
この長い日程が仕事を持っている私には都合の良いことにもなりました
火葬場の窯のランクも段階ありまして、告別式の時間設定もこのランク決めで
時間が決まります

祭壇の設定、まぁ予算に余裕があれば上をみればキリがないですね
飾るお花のアレンジの仕方で大きくも見せることもできるそうで
何もかもお金次第です

葬儀の日程も決まり、次は関係者にご連絡です


回想;病院から自宅へ

付き添いの家族にとって病院は近い方がいいにこしたことはない
自宅からわずか数百メートルと離れていないこの辺りでは有名な大きな病院に
入院できたのはこちらの努力の甲斐があったからこそであります

父の病室からは自宅が見えていました
けど動けない父には見ることが叶わなかったと思っております
「俺が病院へ行くときは死ぬときだ」と常日頃言っていました
ベッドの上で父は何を思っていたのでしょう

早く良くなって元気で家に帰りましょうと
もっと励ますべきだっと何度も悔いています
何をやっても悔いが残ります
何度でも嘆いてしまう言葉です

亡くなって主治医の所見が終わるまで
父の着替えの洋服やら葬儀屋さんの連絡先もメモしに
自宅へ取りに戻りまた病院へ戻りました

病棟の看護師は処置に入ります
高齢の母が疲れてはと先に自宅へ戻し
葬儀屋さんが迎えに来てくれるまで
綺麗になった父と待ちました

お父さん、お疲れさまでした
と、心の中で何度も言いました
今際の際に立ち会えたことは幸せだと人は言います
私は不思議に涙一つのこぼれませんでした

葬儀屋さんがお迎えに来てくれて
病棟の看護師さんと警備員さんに付き添われ
寝台車に乗り込み父と一緒に自宅へ帰ってきました

自宅では先に戻った姪っ子たちと母が出迎えてくれました
父の死を悲しんでなんかいられません
明日には葬儀の打ち合わせになります

葬儀屋さんは私たち残された家族に言いました
お疲れでしょう。とにかく眠って休んでくださいと。

お線香を手向け、姪っ子たちと妹に母を託し
私は自宅へと戻りました
事はどんどんと進んでいきます




子供の務め

今の私には母の健康と生活を護っていくことが親孝行となりました。
父は物を言わない姿となって家に戻ってきました。
父が呼んだかのように皆が集まった夜、
母と孫たちに囲まれて静かに旅立っていきました。

それからが大変な日々、葬儀のこと仕事にとそれしかありませんでした。
お通夜の日はギリギリまで仕事をして、なんて因果なことでしょう。

葬儀も終わり後処理を一日に一つひとつと片付けいます。
高齢の母に代わって、そして父が育ててくれた日々の恩返しのつもりで
やっております。
後に残された者の務めです。
父が生きてきた証が消えていく毎日です。

次は葬儀についてまとめてみましょう。






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